バイナリーはギャンブルと一緒?

people playing poker

おつかれさまです。

オーストラリアハイローでバイナリーオプションを初めて約2週間経過しました。実質稼働は1週間くらいで、26万円溶かしています(笑)

私は大学時代パチンコ中毒でした。授業も行かずにパチンコ店に通う毎日、親からの仕送りは一瞬で消えていくし、資金稼ぎのためにバイトで稼いでは突っ込む、最終的に消費者金融に手を出し、20万円程借金をしていました。

現在は結婚し、大手サラリーマンで十分な収入と貯金、老後への備えをしっかりと”妻に”管理頂いて生活しています。

私自身は妻からもらう毎月のお小遣いで生きているのですが、コロナで飲み会も減ったことから少し個人の貯金に余裕が出てきていました。副業したいなぁと思っていたころ、バイナリーオプションに出会いました。YouTubeで勉強しながらまずは勉強としてやってみてはや1週間。26万円溶かすという、流石というかなんというか(笑)

最初から自己管理が大事とは思っていたのですが、結局何一つ自分ルールは守れなかったです。記録の為にブログも初めて見たのだけど、このままでは資金も尽きて1カ月もしないうちに終了しちゃいそうw 

結局、バイナリーオプションはギャンブルで、副業としては最低だったのかもしれない。

そんな時、たまたま誰もが知るYoutube大学の中田あっちゃんの「ギャンブル依存症」動画がサジェストされたので見てみました。

タイミングピッタリだなと思いつつ、見てみるととっても面白い。

大王製紙の元会長、井川氏が106億円溶かした自伝を紹介する動画で・・・てか106億円ってハンパない。

さて彼が何でそんな大金を溶かしたのか。

みなさん、

バカラってしってますか?

バカラってなに?

バカラとは、

カジノのトランプゲームの一つで、裏返されたカードの右と左どちらが9に近いかを当てる、完全運ゲーのギャンブル

というものです。

負ければ掛け金を失い、当てれば倍になって戻ってくる。

実はこのバカラ、カジノの王様と言われていて、その理由はカジノ側が儲かりやすいからとか、最も人気があるからとか、色々ありますが、とにかくシンプルでポピュラーなトランプゲーム・・ギャンブルです。

ちなみに少し前、バトミントンの日本人選手が問題になったのもこのゲームだったそう。

大王製紙の井川氏は、このバカラで106億円を溶かしたそうな。

バカラの基本ルールをまとめるとこんな感じ。

  • 9に近いかどうか、上か下かの2者択一のゲーム。
  • 負ければゼロ、勝てば倍。
  • 専門的な知識が不要なシンプルなルール。

さて、みなさんはどうでしょう。私はこれを動画で聞いた時、

バイナリーオプションとバカラって・・・Ni Te Ru。

と思いドキッとしました。

決してバイナリーオプションはギャンブルとしてやっていたわけではなく、あくまで副業の一環でやっていたのですが、果たしてどうだったのでしょうか。

この動画で紹介されている本の題名は「溶ける」

私もバカラで106億円じゃないけど、バイナリーオプションで26万円溶かしています。

バイナリーオプションはギャンブルなのか。パチンコ依存症だった私は、またあの時に状態に陥っているのではないか。

この疑問を紐解くために、井川氏が106億円を溶かすに至る経緯をあっちゃんの見解も踏まえてみてみよう。

井川氏は、決して私みたいな4流大学のパチン”カス”だったわけではないようだ。

ノーミス人生

大王製紙の創業者の家系で、社長の息子として産まれ、日本一の筑駒高校を卒業、東大の中でも最難関である法学部に進学し、大王製紙へ就職、現場で4年下積みした後、赤字子会社を再建、40代で次期社長に任命される。ただのボンボン息子ではない。

まさに、

スーパーエリート

こんな人が、会社のお金まで使って106億円を溶かすなんて信じられない。

たとえば新事業で106億円の赤字を出してしまった、エリートだが事業戦略を誤った・・・なんてことならまぁないこともない気がする。

実際は、バカラというギャンブルで負けまくっただけというのだから衝撃的な話だ。

小さいころからギャンブルが身近に

もともとギャンブルは好きだったようだ。

私もいつか家族でできたらと思っていたが、家族で麻雀をやることもよくあったそうだ。

私も大学時代は麻雀をよくやった。学生寮に住んでいたのだが、そこには全自動雀卓がなぜか備え付けられており、朝までよくたばこの煙だらけの麻雀部屋で過ごしたものだ。

ただこの家族麻雀はギャンブル依存症の決定打ではないようだ。井川氏の弟も、当然父親もやっていたわけだが、ギャンブル依存症は井川氏だけだ。

バカラとの出会い

オーストラリアハイロー・・ではないのだが、井川氏のバカラとの出会いはオーストラリアだそうだ。ゴールドコーストのカジノでバカラを知り、そこからギャンブル依存症への歯車が動き出していく・・。

ビギナーズラックとは、ギャンブルにおいては悪魔のご褒美かもしれない。井川氏は初めてのバカラで100万円が2000万円になったそうだ。シンプルで簡単、己の運だけに頼るというこの高揚感。

思えば、私が初めてパチンコをしたのは、全自動雀卓のある学生寮の先輩に連れられて行ったのがきっかけだ。当時はパチンコがどういうものかもよくわからなかったが、「最初だからノリ打ちでやってみよう」ということで先輩の言うとおりに1万円を投入した。

ノリ打ちというのは、買った分は山分けしようという意味だ。仮に自分が1万円を全部失っても、相棒が運よく1万円投資で5万円勝てば、利益の4万円の半分、つまり2万円は自分も貰えるということだ。相棒からしたら4万円貰えるところが半分になっちゃうわけだが、逆の立場だった時には助けられるわけで、要は2人でリスク分散する打ち方だ。

私は初めてのパチンコで5万円程プラスだった。横で打っていた先輩はサクッと1万円を溶かし、ひたすら横で私になぞの応援をくれていた。私はノリ打ちの意味がよく分かっていなかったので、最後に取り分を半分にされた時はかなり理不尽さを感じた。後で聞いてみたら、その先輩は1年生のビギナーズラックをノリ打ちでかっさらう有名な人だった。その人もギャンブル依存症で、他の後輩に借金をしていた。就職先はなぜか生命保険というから今思えば恐ろしい(笑)。
それでも、1日楽しみながら2万5千円をサクッと手に入れたという感動と高揚感は、当時お金のない学生からしたら衝撃だった。

「今度は絶対一人で行こう」

そう決心したのは想像に難くないと思う。それからというもの、朝から晩までパチンコに時間を費やすようになっていった。私はスロットよりパチンコが好きだ。少しスロットには技術がいる。ただそれは邪道と思っていた。なぜなら、

男なら自分の運だけで勝負しろ

と思っていたからだ。ビギナーズラックで5万円勝った時から、自分が強運の持ち主であるとずっと思っていた。

バカラも近いものがあるのかもしれない。何も考えず、己の運のみで巨額の金を動かしていく。そして実際に100万円を20倍にしたという経験と自身。

その後、井川氏はラスベガスで70万円を4,000万円に増やし、そして1夜にしてすべてを失ったそうだ。その時井川氏が思ったのは、

私は負けていない、たかが70万円失っただけだ

これはギャンブルを長く続けている人が必ず1度は発する言い訳の一つだ。

ここまでは家族もいたし、日本からゴールドコーストやラスベガスに毎日のように通うわけにはいかないため大事にはならなかったそうだ。

ある意味、この距離と時間的な制約が、ギャンブル依存症への最後の防壁だったのかもしれない。この防壁がある事をきっかけに急速に崩れていく・・・。

井川氏、社長になる

東大法学部卒、赤字子会社を再建した名実共に超エリートの社長息子は、当時社長だった実の父より50歳にならずして社長になることを命ぜられる。

井川氏は最初、まだ早すぎると感じていたようだが断れず、ついに40代で大王製紙グループの社長となる。

これが最後の防壁を崩すきっかけとなった。

当時、マカオのカジノは治安が不安視されていたようだが、大分改善されたようで、井川氏も近場のマカオに通うことが増えていた。とはいっても国外だし、普通は東京から札幌ですら頻繁に行けるような距離ではない。

でも、社長は別だ。

売上5,000憶円を超える大企業グループの東大卒長エリート社長が、マカオに”仕事”をしにいくのに、誰の許可も必要でなかったのは想像に難くない。

社長になったことで、井川氏は距離と時間という最後の防壁を乗り越えることができてしまった。

そしてマカオの洗練されたカジノシステムが、二度と出られないギャンブル地獄へといざなっていく・・。

ギャンブル依存症を誘発するカジノシステム

社長になった後、井川氏は毎週マカオに行けるようになったそうだ。

そのころから、井川氏にはマカオ特有のジャンケットと呼ばれる、要はカジノとギャンブラーを繋ぐ仲介人のような人物がついていたそうだ。

ジャンケットは車の送迎、ホテルの予約、女性遊びなどなど、それはそれは手の込んだ接待サービスをしてくれるそうだ。しかも、ジャンケットは金貸しでもあった。ジャンケットは回収リスクの査定を含めた利用客(所謂カモ)を集めてくるという、カジノ側の人間でもあった。

この超スーパーVIPおもてなしと、バカラという運ゲーの魔力、世間に知られずに金を借りれる、というカジノの仕組みから逃れられる人がいるのだろうか。

井川氏もこのループにハマってしまっており、気づけば会社のお金にも手を付け、最終的に106億円を溶かしてしまったそうだ。

結末

最終的に、持ち株の売却等ですべての借金は返済したそうだが、井川一族は大王製紙グループから基本的に追放され、井川氏本人は4年の実刑判決を受けた。

このストーリーを自伝として書き起こしたのが本書、「溶ける」大王製紙前会長 井川意高の懺悔録 増補完全版 (幻冬舎文庫)だ。

あっちゃんの見解

井川氏は本書の中で、

なぜギャンブル依存症になったのかは今でも分からない

とつづっているそうだ。

一方あっちゃんは、あくまで個人の見解としてそのヒントは記されているのではないかと語る。

  • 幼少期からギャンブル
  • バカラという運ゲーとの出会い
  • ビギナーズラックでの勝利
  • 続く大敗という快楽
  • 社長という自由なポジション

こんなところだろうか。

私もこのあたりがヒントになると思う。

結局、バカラとバイナリーはギャンブルとして同じか?

これは私が個人的に思うことだが、結論、

バカラとバイナリーオプションは同じではない

その理由は単純だ。

バイナリーオプションは完全な運ゲーではない

バイナリーオプションはもちろん運要素はあるが、テクニカル分析が間違いなく結果に影響する。ただ勝てないのは、テクニカル分析を超えた人間的行動の方が影響力が大きいからだ。

つまり、テクニカル分析と資金管理、正しい判断を繰り返せれば利益を出せる、ただ出せない人の方が多い。なぜなら、バイナリーオプションをギャンブルとして扱う人の方が多いから。これは、バイナリーオプションの運営会社が利益を出す前提でもある。負ける人が多いから、負ける金額が多いから、運営会社が利益を出せる。数億円勝っている人が実際におそらくいる。ただそれを呼び水として、小さな負けギャンブラーをたくさん集める。バイナリーオプションで美味しい思いをしている人も含めて、マカオのカジノと同じ、カモを集めて逃がさないシステムで一役買っているのだろう。

これからどうする?

私はこれからどうするのか。

この井川さんの話から思ったのは、色々ギャンブル依存症の兆候、キッカケはあったと思うのだけど、私、

ギャンブルが好き

これがギャンブル依存症の一番重要な要素だと思う。

要は、その行為をとにかく楽しんでいる。

バイナリーオプションで、緑か赤のランドマークみたいなのがちゃりーんってお金に代わるあの感覚を楽しんでいる。

格闘ゲームで相手を倒すように、マリオカートで1位でゴールするように、とにかくバイナリーオプションでチャリーンするのを楽しんでいる。

楽しんでいる時点で、それはギャンブルだ。

そもそもなんでバイナリーオプションを始めたのか。

私は副業の一つとしてバイナリーオプションをはじめた

あくまで副業だ。楽しむものではない。いや実際超楽しい。私は1日700回以上、10時間取引した。むしろ資金さえ尽きなければ、24時間取引してても苦じゃない。私はバイナリーオプションを楽しんでいる。つまり、やっぱりギャンブルしてたのだ。

目的が副業ではなく、ギャンブルで得られる快楽、ゲーム、楽しみに変わっていた。

そうじゃなかったはずだ。ちゃんとやっていれば勝てるシステムだ。バカラとは違う。100%運ゲーではない、自分でルールを決めることができる。どこでいくら投資するか、自分で判断することができる。

だからこそ一番大事なのはマイルールだ。散々守れなかったマイルール。だからこそ、26万円溶かした。

もう一度、マイルールに沿ってやってみよう。淡々と。楽しむものではない、ただの作業として。

  • マイナス3,000円を超えたら即終了
  • プラス10,000円を超えたら1回だけ投資可能、負けたら即終了
  • プラス10,000円を超えている限りはいくら投資しても構わないが、10,000円を下回ってはならない。
  • 主要マーケットの開始と終わり時間付近で投資しない

とっても勉強になりました。皆さんも是非見てみてね!

おしまい。

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